今回の名曲レビューは”りりィ”の1974年発表の5th Single『私は泣いています』を紹介します。
さて、記事の更新が遅れており、大変申し訳ございません。
ようやく長かった「死のロード」(自称)も抜けました。
しかしながら、体調不良で寝不足と疲れすぎて、風邪のような症状を引き起こし、睡眠を久々にタップリと取ったのですが、まだまだ完全復活にはほど遠い状況です。
今週中には体調を取り戻し、来週の九州出張に向け、準備万端にしておきたいと思います。
12月からは職場環境も変わり、新たなスタートを切りますが、不安よりも期待が先行しておりますが、改めて気を引き締めて、新たなチャレンジを進めて行きたいと思います。
さて、今週は”Leon Russell”の追悼レビューを書いてから、名曲レビューが止まってしまってましたが、実は同日に”りりィ”さんが亡くなられたということで、すぐにレビューを書く予定だったんですけどね。・・・すいません。
【名曲】 Leon Russell 『A Song For You』
http://burning.doorblog.jp/archives/48862233.html
はい、そういうわけで”りりィ”さんですが、若い人は知らないんだろうねえ。
「J-Pop」の黎明期にシンガーソングライターとして、さらには女優としても活躍されていたんですけどね。
彼女の一世一代のヒット曲というと、97万枚以上のセールスを記録した『私は泣いています』でしょう。
両親を早くに亡くし、高校にも行かず、17歳でスナックで弾き語りで生活をされていた”りりィ”さんですが、1971年、”りりィ”さんが19歳の時に”下田逸郎”さんのアルバム『遺言歌』に参加され、ボーカルを務めたのがきっかけで、1972年にメジャーデビューを果たします。
そんな彼女が遊びで作った英語詞のブルーズ曲『アイム・クライング・オン・ザ・ベッド』に日本語詞をつけ、当時知り合いだった”研ナオコ”さんに歌ってくれないかと持ちかけたところ、「自分で歌ってくれないと困る」と言われ、仕方なく自分で歌ったというエピソードは有名ですが、それが大ヒットに繋がるというのは面白いね。
ちなみに「You Tube」ではその”研ナオコ”さんのカバーもありました。
追悼の意を込めた動画も多数アップされていますけど、当時の日本の女性シンガーの艶というか、怨嗟というか、独特の雰囲気が良いよね。
今のゴシックとかブラックメタルに通じるような感じが逆に新鮮ですね。
情念のブルーズというか、”EGO-WRAPPIN'”あたりの雰囲気があって、素晴らしいですね。
【名曲】 EGO-WRAPPIN' 『~Midnight Dejavu~色彩のブルース』
http://burning.doorblog.jp/archives/45355815.html
”宇多田ヒカル”のお母さんである”藤圭子”さんとか、それこそ”カルメン・マキ”さんとか、この頃の女性シンガーの歌唱は今聴いても鮮烈だし、良い曲も多いんだよね。
どこで風向きが変わったのかはいろいろと歴史を辿り、研究する余地があるけど、僕にとってはリアルタイムでの記憶がないのは至極残念です。
「肺がん」で闘病の上、64歳での逝去・・・あまりに早いよね。
長男は、『その先へ』で”Dreams Come True”と共演した”FUZZY CONTROL”のJUON”さんですね。
ご存じの通り、”JUON”さんは”吉田美和”さんの旦那さんですね。
壮絶な人生を歩んだシンガーの息子が日本を代表する女性シンガーと結婚する・・・縁というのは面白いね。
P.S.「縁」・・・最近この言葉を仕事でも良く使うんだけど、大事なことだよね。今、自分が自分でいられるのも様々な方との「縁」だったりするからねえ。やっぱり感謝の気持ちを持ち続けるのは大事だね。
合掌。
さて、記事の更新が遅れており、大変申し訳ございません。
ようやく長かった「死のロード」(自称)も抜けました。
しかしながら、体調不良で寝不足と疲れすぎて、風邪のような症状を引き起こし、睡眠を久々にタップリと取ったのですが、まだまだ完全復活にはほど遠い状況です。
今週中には体調を取り戻し、来週の九州出張に向け、準備万端にしておきたいと思います。
12月からは職場環境も変わり、新たなスタートを切りますが、不安よりも期待が先行しておりますが、改めて気を引き締めて、新たなチャレンジを進めて行きたいと思います。
さて、今週は”Leon Russell”の追悼レビューを書いてから、名曲レビューが止まってしまってましたが、実は同日に”りりィ”さんが亡くなられたということで、すぐにレビューを書く予定だったんですけどね。・・・すいません。
【名曲】 Leon Russell 『A Song For You』
http://burning.doorblog.jp/archives/48862233.html
はい、そういうわけで”りりィ”さんですが、若い人は知らないんだろうねえ。
「J-Pop」の黎明期にシンガーソングライターとして、さらには女優としても活躍されていたんですけどね。
彼女の一世一代のヒット曲というと、97万枚以上のセールスを記録した『私は泣いています』でしょう。
両親を早くに亡くし、高校にも行かず、17歳でスナックで弾き語りで生活をされていた”りりィ”さんですが、1971年、”りりィ”さんが19歳の時に”下田逸郎”さんのアルバム『遺言歌』に参加され、ボーカルを務めたのがきっかけで、1972年にメジャーデビューを果たします。
そんな彼女が遊びで作った英語詞のブルーズ曲『アイム・クライング・オン・ザ・ベッド』に日本語詞をつけ、当時知り合いだった”研ナオコ”さんに歌ってくれないかと持ちかけたところ、「自分で歌ってくれないと困る」と言われ、仕方なく自分で歌ったというエピソードは有名ですが、それが大ヒットに繋がるというのは面白いね。
ちなみに「You Tube」ではその”研ナオコ”さんのカバーもありました。
追悼の意を込めた動画も多数アップされていますけど、当時の日本の女性シンガーの艶というか、怨嗟というか、独特の雰囲気が良いよね。
今のゴシックとかブラックメタルに通じるような感じが逆に新鮮ですね。
情念のブルーズというか、”EGO-WRAPPIN'”あたりの雰囲気があって、素晴らしいですね。
【名曲】 EGO-WRAPPIN' 『~Midnight Dejavu~色彩のブルース』
http://burning.doorblog.jp/archives/45355815.html
”宇多田ヒカル”のお母さんである”藤圭子”さんとか、それこそ”カルメン・マキ”さんとか、この頃の女性シンガーの歌唱は今聴いても鮮烈だし、良い曲も多いんだよね。
どこで風向きが変わったのかはいろいろと歴史を辿り、研究する余地があるけど、僕にとってはリアルタイムでの記憶がないのは至極残念です。
「肺がん」で闘病の上、64歳での逝去・・・あまりに早いよね。
長男は、『その先へ』で”Dreams Come True”と共演した”FUZZY CONTROL”のJUON”さんですね。
ご存じの通り、”JUON”さんは”吉田美和”さんの旦那さんですね。
壮絶な人生を歩んだシンガーの息子が日本を代表する女性シンガーと結婚する・・・縁というのは面白いね。
P.S.「縁」・・・最近この言葉を仕事でも良く使うんだけど、大事なことだよね。今、自分が自分でいられるのも様々な方との「縁」だったりするからねえ。やっぱり感謝の気持ちを持ち続けるのは大事だね。
合掌。